

STORYS
Yasuko Kobayashi

STORY〈1〉
「生き方MISSION」
Noh Jesu氏との出会い
人間のイメージが大転換
脳の機能によって阻まれた人間本性
~人間本来の可能性~
【1】わたしのアイデンティティの初期セッティング
・2歳で自己認識したアイデンティティは、「足りない できない わからない 未熟で不甲斐ない自分」
・わたしは、幼いながらも、そういう自分がイヤでイヤでたまらなく、それが 二度と出会いたくない自分像でした。
・その自分像を解離させるために、自分で考えて行動して突破してきたパターンをつくりました。
【2】わたしのアイデンティティは、ひとつの出来事で5パターン展開
[大前提]は、ものごころも あまりついていない、じぶんという境界線も まだ明確ではない、2歳の時におきたこと
(0)「幼いじぶん」が、じぶんでは まだ考えることも、表現することも、身を守るすべもなく、周囲に守られることもなく、
(1)「誰にも助けてもらえない自分」になってしまって、
(2)「未熟で不甲斐ない自分」と強烈に自己認識して、パニックになって、トラウマになり
(3)「必要なことは なんでもひとりでできる自分」になろうと決断し、そのときのトラブルを 仕方がないから
(4)「ひとりで考えて行動して突破した自分」が、幼すぎて 未熟すぎて その時の不安や 恐怖や 思いや 判断や 実践したことを
(5)「誰にも言語化して表現することができずに わかってもらえないでいる孤独な自分」の 自己完結型STORYになっています。
【3】わたしが「不甲斐ない自分」というアイデンティティの初期セッティングをしてしまった環境・背景
(1)家庭環境がクリスチャン:聖書の影響で、「神と人間」の相対比較をして人間のアイデンティティを規定しました。
人間は無知で罪深く罰を受ける ー 被造物、神は全知全能 ー 創造主 「人間自体が未熟で不甲斐ない存在」
(2)助けてくれるはずの母がいつの間にかいなくなっていた公園という環境下で、トラブルが発生して、
誰にも助けてもらえずに、どうしたらよいかまったくわからない「できない たりない わからない自分」と出会い、
困って、強烈なパニックを通して、初めてこの世に投げ出されてしまったような、じぶんという個別の存在を強く感じた
瞬間「不甲斐ない自分」と認識しました。
(3)身近な✖モデル:「自分のことしか考えない 得体の知れない すごく意地悪な人間」
・親がいない時に、姉が子供集団の中で支配的になり わたしに当てて うっぷんを晴らすような場面でできた自己イメージ。
・一緒にいると、都合のいいように利用されたり、攻撃されるので、スキを見せないようにしたり、期待もできない姉。
・張り合っていないのに、嫌味を言ってきたり 自己主張も激しく、殺伐とした気持ちになり相手するのが疲れる存在。
・心が複雑になり、疲弊して、やる気がなくなり、あんな人には なってはいけないと心に誓う。(相手を✖する)
・そんな人に やられてしまう浅はかな「自分の未熟さ 不甲斐なさ」を感じて、後悔する。(自分も✖する)
【4】エピソード
①私がまだ2歳の頃、いたはずの母がそっと立ち去った雨上がりの公園で、私がブランコから水たまりに落ちて、ブランコに
頭がぶつかり、洋服もよごれて、頭も痛いし、とっても困って、何が起きたのかわからないパニック状態になってしまった
ときに、姉は無視をして助けてくれませんでした。(たぶん友達と遊びたかったのでしょう)
・そこで困り果てて泣いていた わたしは、誰も助けてくれないから、それまでひとりで公園から家まで帰ったことはありませ
んでしたが、このまま泣き続けているわけにもいかずに、すごく恐かったけど、意を決して、ひとりで家まで緊張しながら、
記憶を頼りに帰り着きました。
・しょんぼり消沈しきって帰ってきたわたしは、母がいないのを確認すると、祖母の部屋に行きました。祖母は「どうしたの
か」と いつも元気印の私が意気消沈している様子を見て、尋ねてくれましたが、わたしはモヤモヤする気持ちと、ホッとす
る気持ちと、まだまだ恐さと アイデンティティが確定されたショックで フリーズしている感情や、起きたことを、祖母にど
う言語化して話したら良いのかがまったくわからずに、涙も枯れ果てて、泣きたくても泣けずに、言葉を失いました。幼くて
まだ脳の言語野も発達過程なので、もともと、そんなに言語表現はできていなかったけど、状況把握能力は、ある程度は、
結びついていたようです。
②①のあと、同じく2歳の頃、近所の子供や親戚の子供が集まって、大人たちがいない時に、姉がみんなの前で 私の嘘の悪口
をとても酷くひねくれた口調で言うので、 私はビックリして、訳がわからなくて、 どうしていいのかわからなくなって泣い
たら、今度は泣いたことを みんなの前で馬鹿にしたり責め立ててきたりするので、幼くて感情を言語化できなかった わたし
は、泣くこともできずに我慢して、喉の奥が詰まったようになって、その場で固まって堪えるしかできませんでした。
・こういうことが2~3回ありました。①②とも、イメージだけは強烈に残って何度もフラッシュバックしましたが、言語化
できずに、母には伝えることもできずに、孤独な状況をわかってもらえずに、感情のフタを閉じてしまったと思います。
「人間って こういうものなんだ!仕方ないものなんだ!」
わたしの中で、どこか人間には期待ができない、解り合えない、思いが伝えられないんだという思いが残りました。
【5】変化するためのチャレンジ
「助けてくれる人が誰もいなくても 必要なことは一人でなんでもできるようにならなければ!」
頼れる人がいなくても、困らなくて済むように、何でも自分でできるようになろうと頑張っていろいろチャレンジしました。
~実例で言うと~
・2歳の幼児なのにベビーカーは乗らずに自分の足で歩く。
・未就園児のときから自立や成長に必要な情報をとらえるために人の話をよく聞く。
・4~5歳の幼稚園児なのに自分の髪型は自分で考え、ピンで留め ゴムで結き整える。
・幼稚園はひとりでバス停まで歩き、市営バスで幼稚園まで通園する。
~わたしが成功哲学とか自己啓発とか心理学を学ぶ前から自分の中で蓄積してきた人生の突破パターン~
・なぜやるのか、なぜそれを選択するのか、理由を明確にする。
・どうなりたいかVISIONをえがく。
・何かをやる前に漠然と考えると不安恐怖に襲われて何もできなくなるので 漠然とは考えない。明確に考える。(心得)
・普段からシュミレーション思考を働かせて 突破口をイメージして当たりを付けておく。(素材収集)
・やると決めたら、できるためには、どうすれば良いのかだけを考えて、あきらめない、できるまでやる と決めてかかる。(決断)
・なるべく早く着手して、いつまでにやりとげるか決めて、行動し始める。(エンジン)
・行動してみた結果をもとに、どんどん課題を発見して改善して理想に近づけていく。
わたしは人間の可能性がどこからどこまでなのか、限界がああるのか、ないのか、
知りたくて、知りたくて、知りたくて、求めて、求めて、求めて、
いくらがんばってチャレンジし続けてみても、答えを得ることはなかった。
わたしはただ知りたかった。
人間の可能性を知りたくて、追求を共にする語り合う仲間もなく、ひとりでただただ、もくもくと
それでも、自己完結型突破力の経験値的なやり方を 繰り返すことしかできませんでした。
孤独がピークにきたころでしょうか?
色々と歴史やあらゆることを調べ上げて、ゆきばのない「日本の悔しさ」に出会って押しつぶされそうになったころ
そのころ、わたしは そろそろと、本格的に探そうと思って人脈つくりを始めました。
彼との 出会いのタイミングまで決めておいていたので、始めて2ヶ月半で難なく出会いました。
【6】平成の異端児Noh Jesu氏との出会い
私が自分の人生を決めたのは18歳の時でした。
あとのSTORYで詳しく書きますが、観術の創始者であるNoh Jesu氏との出会いを決めたのもこの時でした。
まだ出会ってもいない時に、出会いを決めるなんておかしな話ですが、
私は18歳の時に「彼と出会う」ことを決めていて、出会う時期は 30代後半でと決めていました。
それは、どういうことかと言うと、
わたしは方向性が見えない生き方が苦手で迷うのも嫌いだったので、
成人する前までには、先に人生のゴール地点を決めて、効率良く生きる生き方を望んでいました。
そういう背景から、18歳の時に 今世は何をなすべきかを決めました。
今世のVISION・MISSION・PLANを設定して、人生のストーリーを決めちゃったんです。
だからこの人生どうせやるんだったら一番役に立つ一番大きな仕事がしたいと考えていたので、
一番必要とされていること、この時代の人間に最も必要とされているニーズを調べてきた18年間でもありました。
〈18歳で そのように考えるようになった背景〉
(1)わたしの幼少期はカトリックのボーンクリスチャンという家庭環境だったので、教会で受けた教育の影響が、私の思考体
系の形成にものすごく大きな影響を与えました。物心着いた時に、私の環境下のあらゆる既成概念の中で、私が最初に引い
た境界線は「神と人間を分ける境界線」だったんです。お母さんと私、あるいは自分と自分以外という境界線を引くのと同
時くらいに、神と人間を分けて観ていました。わたしが望もうとも望まないとも、環境によって、そういう宗教の考え方
の刷り込み情報がインプットされていました。
(2)そのためか、私が何かを考えるときはいつも「私がなぜ○○なのか?」と考えるよりも、「人間はなぜ○○なのか?」と
言うように、主語が「人間とは」という人間の普遍性について考えることが、まず第一の基本パターンとなりました。
これは大人になってからわかったのですが、西洋の思考方式ではそれが最もな基本パターンとなります。NohJesu氏と出会
ってから、自分の思考方式の基本パターンの無意識を意識化しながら気づき、確認しました。
(3)そして、「人間とは何か」がわからない限り「私とは何か」は わかるはずがないと思っていました。
「人間がどんな存在で、人間の可能性、可能な範囲、希望できることがどこまでなのか?」が 幼少期から 本当に知りたかっ
たし、それが解って生きるべきだと思っていました。勉強とはそのためにするものだと思っていました。
(4)ところが、学校へ行くようになって、学術的な教育を受けても、その答えはありませんでした。
わたしは中学2年でそれをはっきりと認識しました。ただ最初は5教科だったものが、どんどんカテゴライズされて分か
れていく、一生かかっても、この全てのことを学ぶことは時間的にも物理的にも無理なことだと思いました。
わたしはすべてのことが知りたかったんです。わたしたち人間が認識するこのすべての世界のことを。
(5)だから、わたしはこう思いました。「ひとつのシンプルな何かで すべてがわかっちゃう何かがあればいいのに!!」
わたしは、自分のことをそんなに奢った人間とは思いません。それなりに人並みに努力して報われた経験はありますが、
自分なりに苦労もしながら失敗もたくさん繰り返して生きてきました。ただこれだけは、よく思いついたなと思います。
人生の出会いのセッティングだけは成功したと思います。そのために実は、さまざまな確実に出会えるような仕掛けを
しておきました。
NohJesu氏がよく話してくれた事の中のひとつに
「人間ゲームのルールもわからないままで人間をやってる状態で私たち人間は生きてる。」
「人間がなんなのか? 生まれることや、死ぬことがなんなのか? この現実がなんなのか?
関係性がなんなのか?もわからないで、不幸の原因も、幸せ成功の原因も、わからないで、
人間ゲームやってるから悲惨で屈辱で残酷じゃない?」って、
だから、
「ほんとうは、人間こんなもんじゃない!」だって
「可能性そのもの」だって、
「ほんとうの人間の素晴らしさを教えるのが本物の教育」だって、
何度も、何度も、私たちに語りかけてくれました。
もちろん、ただ精神論的に語っているだけではなく、その根拠をとことん説明してくれるのです。
20年近く日本だけで開発をして、日本人に語ってくれてきました。
「日本から始まるから、まず日本からじゃないと受け入れない内容」だって、
「日本人は、たとえロジックが弱い人でも、なんかわかっちゃう、受け入れるからエネルギーが通るんだよね!」と、
こんなにも、日本の可能性を明確に理解して、活かすイメージがある人がほかにいるでしょうか!!
こんなにも、アイデンティティやプライドがズタズタにセッティングされ、骨抜きになってしまった、変わり果てた日本に
ありえないほどの深い愛と希望のメッセージを 21年間 語り続けた人がほかにいたでしょうか?
わたしも「人間の無限の可能性開発者」と名乗っていますが、
彼と出会えなかったら、そのようなことはいくらしたくても、コンテンツがないのは明白なので、
正直言って名乗れなかったです。
あのまま生きてたら、自分が産んだ子供のことでさえ 可能性をみることができなかったと思います。
どう育てて、どう可能性でみてあげたらよいのか、さっぱりわかりませんでした。
わたしは20代のころから、たくさんのかたのビジネスコンサルをさせていただきましたが、
「最初ははりきってるけど、モチベーションや経済的が維持できなくなったら、
自分の自信のなさや、人や環境のせいにして、どうせあきらめるんでしょ!
自分でやると言ったことすらできないで、いつまで、がんばれるのかな?」
このような思いをどうしても拭えなくて、自分みたいに本気でやる人はいないのかなと思って、
心底、目の前の人の可能性を確信することができずにいました。
わたしが本当に知りたかったこと、開拓開発したかったことは、「人間本性・人間の可能性」このことです。
よくよく自分の無意識深くからの思いを思い出してみると、
本当に幼い頃から人間の可能性の開拓開発にしか関心がありませんでした。
「人間は神の被造物であり、罪を犯す愚かな存在だよ だから罪から解放されるために悔い改めよ」と
聖書による原罪教育を受けて、ものすごく違和感がありました。
「そんなはずはない!人間本性は違うはずだ!」その悔しさ、憤怒が私の中にずっとずっとありました。
その憤怒によるエネルギーでそれまで行動し続けていました。
魂が健康というのか、張り切って失敗も受け入れてtry&errorを繰り返して道を開拓することがとっても好きでした。
その背景は何かと言うと、人間本性の力を確認したくて無意識に使っていたからだと思います。
「不可能だ」と認めてチャレンジを諦めることが何より嫌いでした。
人間の可能性を開花させずに裏切ることが屈辱的で耐えられませんでした。
20~30代で、私にビジネスのレクチャーをしてくれた女性経営者と出会い、
現実的にビジネスのパートをやり切ってみて、お金は稼げても、
関係性の限界と出会って、心底幸せではありませんでした。
夫の協力も得られずに、心はどんどん かたくなになり、苦しくてひとりでよく泣いていました。
人間の普遍的な問題や、人間本来の可能性とは何か?という
人間の本性である人間の無意識や潜在意識の開発をするために、
本質的なパートのことを深めていくと中学2年で、時が来たらと決めていました。
設定していた、その時というのは 40歳からで、生活や単なるビジネスのためではなく、
MISSIONに基づいたLIFE WORKの人生をスタートさせると決めていました。
Noh Jesu氏と予定通り30代半ば過ぎに出会い、その本質的で普遍的な、本物の教育コンテンツを元に、
日本オリジナルの教育産業を創って世界に発信していくという、以前から決めていた通りに現実化しうる
コンテンツに出会ったので、出会いの喜びをかみしめながら、改めて深い決意とともに出発しようと思いました。
そのようにして、私の人生は18歳の時に自分で設定していた通りになりました。
【7】観術・認識技術と出会ってからの変化
何から順番に伝えて良いのかわからないほど、認識するすべての世界が変わりました。
(1)まず、「人間のイメージ」がガラっと変わりました!
わたしたちは、「この体の範囲が人間だ」と思っていませんか?
そして、物理的に存在するから、わたしたちが認識すると思い込んでいませんか?
これは、実は違います。脳で認識すると、そのように観えますが、それが真実ではありません。
認識の出発が、存在するから、その存在を認識しているのではありません。
脳科学でも明確に言われているように、それは脳の認識作用の結果態であり、錯覚です。
近年では、科学の実験によっても「認識していないと存在していない」ということが明らかになっています。
(2)そして、これは解析の世界、つまり人間の考えの世界の話になりますが、
わたしたちはよく、「過去と他人は変えられない」ということを聞くことがありますね。
はたして、それは本当なのでしょうか?
自分の都合よく、自分が変わろうともしないで、相手を変えようとすることは、うまくいかない要因です。
まず自分から変わりましょう!
そして、やってしまったことは変わらないから、過去は変えられないけど、
自分が変化することによって、これからの未来は変えられるよ!
本来はこのような意味でしょう。
しかし認識技術を用いると、それが事実ではないことに、みなさん誰でも気づきます。
認識技術ではなくても、ちょっと考え方を変えて、感じ方が変わったということもあると思いますが、
その思い方・考え方を変えるには、根本土台まで解いて、新しく幼少期から蓄積するように、
5感覚から情報をインプットして観点を創ってイメージを蓄積して創って行かなければ、
条件が変われば、また元に戻ってしまったり、根本土台からの変化ではないため、
後付けの情報知識が増えてしまって、かえって複雑になってしまい、
思考の整理や感情のコントロールが難しくなってしまうというリスクが伴うケースがあります。
認識技術は、自分の変化だけではなく、
認識が自由自在に変化するので、じぶんの過去への解析が変わるため、過去は変わります。
今までは、自分の認識が変えられなかったから、
過去の解析がずっと同じパターンで過去の解析を変えることができなかっただけです。
Noh Jesu氏との出会いを通して、
ほんとうに ほんとうに たくさんのあらゆる角度から大きく変化していけるのが
変化のイメージ・真実のイメージ・すべての出発・存在方式の根本原理など、
彼が発見したイメージを言い方としては、ありとあらゆる角度から色々と表現できますが、
彼が21年間かけて日本の仲間たちと日本で開発した認識技術なので、
わたしの変化も、一言で語るのはものすごく難しく、あらゆる角度から語れますので
STORY〈2〉~〈5〉で語っていきたいと思います。ぜひ読んでみてください。
そして、わたしの変化だけではなく、わたしが出会った人々のたくさんの多様な多大な変化も
体験談として たくさん ご紹介できたらと思います。


